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田原昌のブログ(旧高斗連絡帳) tkth.exblog.jp

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ぶらり写真撮り歩き(旅行&歴史&動物etc.)


by 田原昌
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岡山城と池田恒興。


岡山城と池田恒興。_f0029541_6354116.jpg

  〜岡山城天守閣から覗いた、金鯱と旭川の向こうに広がる後楽園〜

変な題名でスンマセン。
まぁ、無縁ではないのでこんな風にしちゃいましたが…。

ええと、昨日の日記で岡山城の紹介をしましたが、
それについて友ブロガーさんからご質問があったので追加です。

>城の作り直しって、埋め直して作るのでしょう?
>徳川の大阪城、越前松平の福井城、そして岡山城、やっぱり新しい城主としての
>力を見せつけるためなのでしょうか?

という話ですが、城なんてのは別に住む訳でもないので権威の象徴、威圧でしかないですね。
例えば姫路城なんかは、関ヶ原で破れた西側の大名に対して威圧感を与える為に「白」で統一。
もちろん、戦の時は篭城など、戦闘態勢に入る訳なんですが…。
岡山城の前身は、少し離れた所にある、「石山」という所にあった城です。
そこを宇喜多直家が手に入れる。で、息子の秀家が後を継ぐ。
秀吉から加増されて大々名になった秀家は、「石山城じゃ小さすぎるんで、新しく作るわー」ゆーて、
今現在岡山城が立っている場所を整備し、岡山城を改めて築城しました。

と、云う訳で、岡山城は前の城とは別の場所に築城した物なので、
埋め立てているものではありません。ご安心を。

ただ、太平洋戦争中に岡山城下は突然の空襲に遭い、城も灰燼と帰してしまいます。
その時米軍側が目標としていた兵舎や軍事施設はもっと北にあり、
こちらは全くの無傷。
…何やっとんのじゃーー!!!!!
高斗的に分析しますと、米軍側は「城には司令官が住んでおり、兵士達もそこにたくさん居る筈だ!なにせcastleだからな!」と勘違い。高い所を飛んでも川があったり、堀に囲まれていたりして判別が付き易い城が狙われ、いい攻撃目標にされたのではないかと。
まあ、日本人でも城の天守閣部分に殿様が住んでいるという勘違いはしますから、
ゲイシャ、ハラキリ〜とか云ってる米軍が勘違いしても無理は無いのかもしれません。

そんな空襲の被害にあった岡山城及び後楽園は、
その後今の状態に復活します。
石垣や櫓など、部分的に戦火を免れた物もありますので、そちらも見るといいですね。


さて、次のご質問がなかなか難しい(;^_^A
>“恒興LOVE”の理由とは如何に??
ううーーむ。正直言うと、自分がここまでハマるとは思っていなかったんですよね。
織田家を知った時、滝川一益、丹羽長秀、前田利家そして池田恒興に注目したのは確かです。
前者3人は探せば本も出てるし、史料もある。
恒興だけはなかなかその姿が見えてこない。信長公に一番近い存在だったのに何故??
そう思ったら、気になりだす訳です。
しかもへそ曲がりな高斗、メジャー所よりもマイナーな人物にハマり易いという傾向がある。
そんな所から始まったんだと思いますねー。

あとは、最近になって漫画を描く様になった事が大きいですね。
みんなそうだと思いますが、自分で書き起したキャラを動かすと、愛着が湧くものです。
その中でもいじっていて楽しかったのが恒興(ごめん)。
史料が無い分、自分で勝手に性格とか設定出来たので余計に愛着が湧きました。
「愛い奴めー」とか云って描いています。
すいません、ろくでもない奴で…(; ̄ー ̄A
ただのミーハーですね…。ううう。

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by ssk_takatoh | 2011-11-30 07:11 | 織田家臣団(戦国ネタ)